協会誌「大地」No45

宮城 豊彦

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05.地形学から見たマングローブの世界

はじめに

私がなぜマングローブ生態系と地すべりとの双方を研究するかという難解な議論はさておき、ここでは地形学的にこの生態系を調べると何が解るかを簡単に紹介したい。地すべり研究でもマングローブ研究でも、その出発点は「どうなっているか」ここでは地形としてのマングローブ林域はどうなっているかを調べることにある。

マングローブ林は何処に在るか

ベトナム戦争で枯葉剤が散布され、ほぼ壊滅したマングローブ林が地域住民の植林活動と自然の回復で見事に復興しており、2002年には植林地で世界最初のユネスコ生物圏保護区に指定された。

世界のほぼ南北緯度30度以内の熱帯・亜熱帯圏にあり、鹿児島の喜入町が一応北限とされる。これは平面的に見た場合である。地形的に見れば、「潮間帯の上半部にのみ成立する」ということになる。筆者らのどうなっているかを調べる作業は、「このことを丹念に調べた」という一語に尽きる。世界のマングローブ林は、最高高潮位よりも陸側の陸地林、平均海水面より下位に発達するサンゴ礁や藻場と隣接して沿岸の一角を形成している。その種構成は、日本の場合は主要なものだけで7種、30種、世界的には約100種程度のマングローブが存在する。この植物群と土地との関係を調べるのが私の仕事である。

潮間帯の幅は垂直的にも水平的にも地域によって大きな違いがある。ある場所におけるマングローブ林の面積的な規模は、要するに潮間帯上半部の土地の規模に完全に支配されている。なぜこうも厳密なのかは塩分と関係している。海水に含まれる塩分は植物にとって毒である。使えない水に浸っていてもそれは生理的に砂漠にあると同じである。マングローブとは、高い浸透圧に適応し、排塩機能を備えるなどの特殊な機能を有する植物群なのである。また、土中は常に海水で充填され、地下水位は常に地表付近以上に位置するために根から空気を取り入れにくい。潮汐によって海水に浸るが、その頻度は平均海水面付近の場合、年間の約半分が浸水し、一方で高潮位付近では年に数回しか海水に浸らない。さらに植物体を支える土台は軟弱地盤である。このように、極めて厳しい環境条件にある植物群だが、様々に適応して立派な森を作っている。

塩水漬けの軟弱地盤であれば、植物体は自らを支えるため、呼吸のために根の比率を高くする必要が出てくる。マングローブ植物の代表であるヒルギ科の植物の場合地上部と地下部の比は1対0.6〜0.9にもなる。すなわち地下部が大きい。地形学にとって注目すべきことである。また、塩漬けなので容易には分解しない。かくしてマングローブ泥炭という堆積物が蓄積することになる。

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写真-1 潮位が高い時のベトナムホーチミン市郊外カンザ地区の状態

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写真-2 マングローブ生態系の圏構造
海(平均海水位)から陸側(最高高潮位)に推移する環境傾度に応じて優占種が置き換わる。
1:海辺のSonneratia alba
2:海辺のAvicennia alba
3:中心部のRhizophora apiculata &Bruguiera gimnorritza
4:中心部のRhizophora apiculata
5:陸側の高潮位にCeriops tagal
6:陸側のNypa fluticans
などが森をつくる。

変動する森の位置と規模

マングローブ林は潮間帯上半部にしか成立しないとすれば、地球科学者にとってそれは、極めて不安定な動く森としてイメージされる。地球は常に海水準変動を繰り返してきたのだから。実際、泥炭を堆積していることで、その海水準変動と森林立地変動とを容易に復元することができる。因みにタイのバンコク付近では、約1万年前には現在よりも沖合40kmにあり、約6千年前には100km近くも内陸の古都アユタヤ付近に森があった。現在の世界の森は、約2000年前の日本では弥生の海退として知られる時期以降に形成された。この場合、2千年前は海岸線が沖にあったから、森は沖から陸に向かってその森林を拡大してきたことになる。勿論、川が土砂を運んで潮間帯を沖に向かって広げるような場所ではそれに準じて森を広げていることは言うまでもない。ここで、森の規模を拡大してきたと述べた。決して森の位置を内陸に移動してきたとは言わずに。先に、マングローブは泥炭堆積物を蓄積すると書いたが、泥炭堆積は緩慢な海水準上昇には地盤高度を高めるように作用するので森はおぼれない。同時に海水は陸域に浸潤するのでマングローブ林は陸に向かって拡大することとなる。

さらに言えば、海水準は過去千年程度安定的に推移している。このことは陸からの土砂の堆積がなくても、マングローブ泥炭の堆積によって森の地盤高度が既にかなり高い位置にあることを示唆する。各地で地盤高を計測すると、その地盤は多くの場合平均高潮位程度まで上昇している。つまり、海から陸までの断面を描いた場合、「海側縁辺で森の地盤は急速に高まり、やや平坦な森の主部が広く存在し、陸に近づいてさらに地盤が高くなる。」ということになる。森の存在自体によっても土地自体が変化しているのである。

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写真-3 マングローブに特有の胎生種子の例
左:Rhizophora mucronata は長大な種子で70cm〜1mになる。
上:Rhizophora mangle の矮生林ではこんなに小さい。
下:Avicennia marina すでに幼根ができている。

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写真-4 典型的なマングローブ林の泥炭堆積物
上:やや分解した泥炭で殆どが根である。
下:Rhizophoramangle 林の林床堆積物はほぼ完全に未分解の細根で構成される。

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図-1 マングローブ林および堆積物と生み水準変動の関係

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図-2 太平洋各地の海水準変動とマングローブ泥炭の有り無し

変化する森の行くえ

このような変化過程は、海水準変動というグローバルな変化にコントロールされながら、その中身自体が潮間帯の一連の環境傾度の中で泥炭を蓄積したり流入土砂を堆積したりして自らの立地条件を変化させる自律系としての側面も持つ複雑な土地条件にあることを理解させ、この巨大な生産力を持つ森が海に在ることで、其処に豊かな生態系が形成されることに思いが至る。しかし、近年、この森に危機が指摘されている、その一つは、エビ養殖池の拡大や薪炭材の伐採による直接的な森林破壊である。このような森林破壊は、1970〜80年代をピークに峠を越した。理由はこの森林環境が持つ様々な役割が総括的に理解されるようになり、目先のエビ池開発よりも環境的価値を大事にする機運が高まってきたからである。1990年代になって東南アジア各国はマングローブ林を伐採することは基本的に禁じている。

もう一つは地球温暖化がもたらす急激な海面上昇である。現在の森は、海面が上昇しても陸側に移動できない。なぜなら、其処は既に人が水田や居住地、エビ池などにつかっているのだから。この問題は、我々をして、急激な海面上昇によって、果たして「森は消滅するのか」という新たな視点を提起した。1990年代の10年間は、専らこの研究に専念した。研究は、泥炭堆積物を使って、海水準変動と森の立地変動を復元し、過去の海水準上昇時の年間上昇速度と堆積物の関係を見る、すなわち海面上昇速度が年間何ミリで泥炭堆積物は消滅するかを明らかにする作業である。泥炭堆積物の消滅は森が溺れてしまったことを意味するので、IPCCなどが提案している海面上昇の将来予測と比較することで森の行く末を考えられる。我々の分析結果では、潮汐差が大きい大潮汐域であれば森はほぼ生存する。理由は過去千年間に、地盤高が潮間帯の高い位置にまでかさ上げされ、将来の1m程度の海面上昇があっても、マングローブ林が成立する潮間帯上半部という基本的な枠組みは維持されるからである。ところが潮汐差が1m以下のミクロタイダル域では、海面上昇速度が年間5mを越えると溺れてしまうという結果となった。IPCCの最新の見積もりでは、将来100年間の海面上昇は、様々なシナリオで25cm〜90cmとある。その中央地は65cmで、このままではマングローブ林は大きく減少するかもしれない。

略歴

東北学院大学を経て東北大学大学院理学研究科修了後一貫して東北学院大学において、地すべり地形、マングローブ生態系の研究を行っている。前地すべり学会東北支部長 55歳

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