昭さく地質(株) 技師長  芳賀 壮一

37.みちのくだより山形 庄内の風土

 山形県の内、日本海に面した西側を地元では庄内と呼ぶ。出羽丘陵を挟んだ東側・内陸に対しての庄内であります。内陸対庄内のこの様な言い廻しというか意識は、たぶん地勢的なこともありましょうが、藩政時代〜明治維新に根ざしているものと思われます。つまり、庄内地方はそのほとんどがこの時代を通じて徳川譜代筆頭酒井家の領地でありましたし、対して内陸は譜代外様入り乱れての多数の領国支配となていた。加えて幕末明治維新の時には、庄内は旧幕府軍として最後まで戦い、内陸の官軍側と対峙した経緯があります。その様な意識も潜在的には今もあって、内陸に対しての庄内なのでしょう。


 さて、此処庄内は大概南北40km 東西20km で、海岸から20km 上流に向かっても標高10m 程度とまさに平坦かつ広大な平野であります。

 その平野の外側を画して、北の秋田県境には秀麗な成層火山である鳥海山(2236m )がそびえ、南側には出羽三山で名高い信仰の山、月山(1980m )が臥牛山と称される様に楯状火山としてゆったりと存在している。遠く仰いで、陰の月山に対して陽の鳥海とも称される由縁であります。

 また、庄内平野の東縁は標高300 〜500m の定高性を示す新第三紀層の出羽丘陵が、遠く秋田県の太平山・白神山地まで続いており、平野の西側は新潟から続く朝日山地と北半分を占める庄内砂丘を介して、日本海に面しております。


 この様に我が庄内は、その北と南にそれぞれ対照的な独立峰を抱え、東西両側はほぼ直線的な山地に囲まれた箱庭的盆地的な平野となっております。

 豪農として名高い本間家に象徴される様に、米処庄内は一帯が米単作の水田地帯であり、その中に点在する各集落は、水田に水を張る田植えの頃には、さながら浅海に浮かぶ島々の様だと云われる風景となります。


 藤沢周平の小説「たそがれ清兵衛」などで目下この庄内は、海坂藩のモデルとなった所として全国ファンの注目をあびておりますが、以前のおしんでの酒田湊の時の様に、此の忙しい時代にあって、皆さんの郷愁をかきたてる何かがこの地には未だ存在しているのでしょう。

 そして、たぶん何の変哲もないこの歴史的文化的風土こそが、ここ庄内の最も大切な宝ものであり、世界にも通用する普遍的な価値と考えます。

 この庄内に暮せることを私は幸せと思っております。

 どうぞ皆さん一度遊びにいらして下さい。


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